1時30分近くになって、お店の前の掃除をして、
「よろず屋・浦和すたんでいんぐ」の看板を出していると、
うら若い奥方が、
「浦和すたんでいんぐの方ですか?」
と声をかけてくれました。
聞けば、いんたあねっとで浦すたのこと知って、
わざわざ訪ねて来てくれたとのことでした。
店のあるじとしては、もうこれだけで
4日分の売り上げがあったような嬉しさでした。
嬉しさ余って、今日はもう店を閉めようかとも思ったのですが、
頑張って夜も店を開けて良かった。
夜の部には、どりあんとN郎さんとアナザ寅次郎さんが来てくれて、
さらに2日分の売り上げがあったような心地でありました。
コメントをお書きください
寅次郎 (日曜日, 19 4月 2015 21:29)
座ってスタンディングやりだしてから気づいたことがあります
通行人の視線が優しいのです
「お母様あれなあに?」
「あれはね、かわいそうなおじいさんが座ってらっしゃるのよ」
母娘の通行人がそう話しているような気がするのです
そこで私は考えました
前に賽銭箱を置いたらもーかるかもと
これはスタンディングの革命かも
えっ? ただのオモライさん?
どりあん (月曜日, 20 4月 2015 01:36)
今朝は久しぶりの写真デー
そういう日は何故か夜明け前に、目覚まし時計の1回目でスパッと起きられるんですよね
早起きは3文の得、でした
朝もやがかかって、見沼田んぼがいっそう美しい
そこから川口の安行にある、一輪草自生地でカワイイ花たちをパチリ
出来栄えがどうこうより、可愛い花に会えたので、今日はこれで十分満足、OKです
それにしても、結局睡眠時間は2時間半という、ストレス解消か?体の酷使か?わからない趣味なので、今日のスタンディングは適当にしようかと思ってましたが、早々とN郎♪さん登場!
幅広く、いろいろとおしゃべりできて、これまたストレス解消
朝と夜と、2度美味しい日でした
N郎♪さん、長時間ありがとうございました
楽しかったです
寅さん、立ったり座ったり、ご苦労様でした
座ったら「スタンディング」じゃない?
まっ、いっか
語り部・ケンちゃん (月曜日, 20 4月 2015 15:06)
はっきりしない天候の中、お疲れ様です。
立ってみて、声をかけてくれることがナント嬉しいことか、初めてわかりました。目と目だけでもコミュニケ出来るんですよね!
土曜日、アーサー・ビナードさんのラジオ聞きました。長野の無言館の窪島誠一郎さんとのインタビューでした。
「戦争で亡くなった方を、1日お葬式しても、1万年かかる。それだけ多くの人が亡くなったのに、70年で風化はない!」(そうだ!)
そして、わずか4年で「大震災・福島原発事故」を風化させそうになっている日本人て、いったい何?
そして、一番、心に染みたのは「戦争を知ってると言ったらウソになる。でも誰でも、何かしら低温やけどをしている。その低温やけどを語り部として伝えていくしかない。」という言葉。
我が家は満州からの引き上げ家族。兄姉は皆、満州生まれ。ケンちゃんだけが“戦争を知らない子供たち”。でも、「関東軍が人々を助けずにわれ先に逃げ出したこと。青酸カリを持って広い荒野をさまよい歩いたこと。などなど」寝物語に聞いて、低温やけどに確かになっている。
その低温やけどを伝えていこう。
オール沖縄のウチナンチュも、誰もがみんな低温やけどをしている。
いや、おじい・おばあは最高温やけどをしている。 その、おじい・おばあを(粛々と)踏みつけていくなんて、許されるはずがない!
まき (月曜日, 20 4月 2015 17:10)
昨日13:30にお声をかけさせていただいたものです。
昨日は午前中美容院へ行って、伊勢丹で東北物産展をしていたので、宮城県女川町の蒲鉾を買いに行った帰りに立ち寄らせていただきました。
今度は私もメッセージを書いて来ます。
よろしくお願いします。
寅三郎 (月曜日, 20 4月 2015 19:34)
輪尾っ!
大舞い蛾~っ!!
まきさん、ありがとう!!!
どりあん (月曜日, 20 4月 2015 23:48)
お目覚めケンちゃん!
「スタンディングを1回経験すると、病みつきになる」
って、ほんとでしょ?
こちらに送ってくださるほんのちょっと暖かい目線
それがどんなにうれしいか
何回か経験してみると、急ぎ足で通って行く人たちの人生が見えるようになります(人によるかな?)
ケンちゃん、スタンディングにお目覚め、おめでとうございますっ!
私も、土曜日のビナードさん、聞きました
まず、(私の大好きな)ビナードさんが、アメリカ人でありながら「戦争を語り継ぐ」ことに時間を割いてくださっていることに感謝です
『低温やけど』深い表現ですね
私たちがたった3人で8年前に平和委員会を始めたときに、
「私たちの世代はあの戦争を直接は知らないけど、親から何かしらのサインを受け取ってる。この貴重なメッセージと心の奥の痛みを次の世代につなげていくのが私たちの使命なんじゃないのか?」
と考えました
この、『心の奥の痛み』が『低温やけど』だったんですね
私の父も、南洋での沈没、九州沖での沈没で多くの仲間が息絶えるのを見、最後に広島の原爆でたった一人生き残りました
こんな戦争を簡単にできる国にしてほしくない
今、日本の真ん中で、お坊ちゃまがやりたい放題してるのを見ると、
まだまだ、伝えきれないことがあると焦ります
戦争をゲームと同じに感じている高校生に、どうやって伝えたらいいのか?
まずは、8月の戦争展に向けて、パネル原稿がんばります
まきさん、コメントありがとうございました
コメントは何でもありです
遠慮なくどんどんお願いします
(間違ったかな?)という時でもご心配なく
闇の検閲官が「必要ない」と思ったら、即バッサリ斬って落としますのでご安心を